屋上屋

屋上で小屋を建てている

生き延びるための仮組み

出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ

中澤系

 
 きみは、どうして生きているんだい?
 こう問われたとき、明瞭に答えを返すことのできる者はどれほどいるだろうか。
 他でもない自己自身を、ひとまずのあいだは生かし続けること、これは自明のことだとみなされている。しかし、生きることに苦しみが付き纏うことは周知のとおりであるし、であればこそ、この世に生まれ落ちることは災厄なのだとまで言われることがある。自己を活かし続けることは、少なくとも今暫くの間、この受苦の時間を不可避的に引き受け続けることを選ぶのと等しい。にもかかわらず、多くの人間は生存している。彼らは、そしてまた私は、苦しみに耐え続けることを選んでいるのだ。
 生きることは苦しいばかりではない。時には負債を帳消しにしあるいは大勝ちにさえ持ち込むような幸福な時間があるではないか、と言う人がいる。たしかに、そういう時間はある。誰しもにあると言えばそれは傲慢だが、しかしそうした時間は万人に到来しうる。世界は驚くべき形で我々の眼前に幸福を開示することがある。だが例えば、これから訪れるであろう幸福の総量とこれから耐え忍ぶことを余儀なくされる不幸な苦しみとを比べてみれば、それは到底割に合うものではないだろうと考える人は少なくないのではないか。こうしたとき、多くの人間が生きること、生き続けることを選び取っているという現状は、きわめて不思議なものであるように思われる。
 むろん、先のような功利計算は、そもそも成り立つのか微妙なものだ。幸福と不幸とをその量において比べることは、いくら代替となる指標を用意したところで可能となるものではないだろう。そもそもの設定がおかしいのだと指摘することは無理筋の主張ではない。
 あるいは。生命それ自体に根本的に無限の価値があり、その輝きは生存の労苦によって曇らされるようなものではない、と言う人もいる。生誕の計量不可能な幸福。それは祝福だ。祝福を受けて世界に出で立つこの生命は、紛れもなく幸福で、生き続けるに値するのだと。
 本当のところはわからない(私たちに「本当のこと」がわかった試しなんてあるだろうか?)。ここで確かに言えるのは、私がまだ生きていて、今暫くの間生き続けることを望んでいる(本当か?)、ということだけだ。私は上のような仕方で幸福と不幸を計算することを拒否し、また生の根源的な価値を信じている。どこかで。しかし、それらの微かな信は、私が生き続けることを決して助けはしない。
 
 私の生はまずもって私の肉体とともにある。日々朽ち果て、また生産し続けるこの身体とともに。適切な配慮なしには寿命を待つまでもなく尽き果ててしまうこの身体とともに。そして、身体とは何にも増してこの資本主義社会に深く深く組み込まれた当のものである。それゆえ生命もまた不可避的に資本主義の経済(エコノミー)へと参入する。そこでの価値にとっては、幸福と不幸の比較不可能性も、生命の不可量な輝きも、なんら意味のあるものではないのだ。生命の根源的な輝きは一個のジャガイモを買うのになんら資すところはない。スーパーのレジでこの生命を提示したところで、何も購うことはできないのだ。生命が身体の存続についてそれ自体において役立つことは、一切ない。
 だから私は身体を使用して労働することになる。きわめて幸運な場合には労働は幸福の源泉となるが、ますます苛烈を極める資本主義世界において、労働に導入された身体には様々の労苦が降りかかる。身体と生命は多くの不幸を経験する。時として死に至るほどに。それでも私達はなんらかの仕方で労働する。それだけが生き延びる道なのだから。
 
 我々の時代の、我々の社会の多くの身体と生命は、このようにして絶望的な事態へと投げ込まれる。私達は自らの被る労苦をもって自身の生存を贖う。それはマーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』に書き遺し、同書を評した樋口恭介が「生きることの不可避な売春性」と名指した絶望に他ならない*1
 生きることを売り渡して生きることを買い取り続ける私達に、幸福による不幸の減算や、祝福された生の根源的肯定は、夢想家の繰り言にしか映らない。たとえどれだけ熱烈に信じていたとしても、夢想が我々の身体を生かすことはない。比べるのは無意味だとわかっていても、生の停止、すなわち自死を選ぶほうが、よっぽど我々を救うようにさえ思われる。

 樋口の評を一部引く。

マーク・フィッシャーは資本主義リアリズムの欺瞞を暴いた。しかしそのウイルス性の病いに憑かれて死んだ。始まりつつある「災禍」──資本主義によって、原理的に 〈加速〉されるメンタルヘルスの問題──に巻き込まれて死んだのだ。世界は少しずつ終わりに向かっていく。誰もが意味のない希望の中で意味を感じ、無意味な行動を繰り返して死んでいく。資本主義は終わることはない。最後の一人に至るまで、災禍は続いてゆく。私たちはその様子を眺めることしかできない。資本主義リアリズムは私たちに、そうした思考を要請する。
しかしながら、今ここにいる私たちは、まだ生きている。
生きている私たち。残された私たちは、そうした病いとどのようにして戦うことができるのだろうか。
何もできはしない。ここにあるのは絶望だけだ。災禍はすでに到来しており、それは大いなる流れだ。私たちは抵抗することなどできはしない。
 まさしく。我々はどうしようもなくこの時代の渦中にある。うねる渦流から逃れることはできない。そのように思われる。しかしながら樋口はこの絶望に飲み込まれてしまっているのではない。彼は次のように続け、評を締めくくっている。

そうではない。ここにあるのは災禍の兆候だ。炭鉱のカナリアが鳴いている。私たちはその鳴き声を聞くことができる。カナリアはもう鳴いている。聞こえないだけだ。聞こうとすることはできる。

(中略)

今では夢想家だけが愛を語る。資本主義の外にあるものを語る。

今では夢想家だけが、過去となった未来が辿る、それらの痕跡を──レクサプロの時代の愛を──見つけ出すことができるだろう。

 「何もできはしない。ここにあるのは絶望だけだ。災禍はすでに到来しており、それは大いなる流れだ。私たちは抵抗することなどできはしない。そうではない。ここにあるのは災禍の兆候だ。炭鉱のカナリアが鳴いている。私たちはその鳴き声を聞くことができる」。ここにあるのは逆転されたメシアニズムだ。もはや来たるべき栄光の王国、救いの時を無限遠に予期し待ち望むことはできない。そこにあるのはすべてを灰燼に帰する災禍だ。我々の生は災禍への道のりを辿るが、しかしそれゆえに災禍は未だ訪れてはいない。我々のもとに表れているのは災禍の「兆候」にすぎない。しかしそれゆえ我々は、その道のりの「外」へと歩みだす可能性を許されている。樋口の抱く希望とはどこまでも続く絶望の果てに見いだされるものだ。それほどまでに、この世界において希望を抱くことは難しい。絶望の極点にあって希望を見出すこと、樋口の書評はこの困難な仕事をなんとか成し遂げようとする稀有なものだ。
 
 しかし、しかしだ。私は「しかし」と思わずにはいられない。災禍の到来に至る時間もまた、絶望的なものに充たされているのだ。夢想は我々を救いはしない。さえずるカナリアを見殺しにしてもなお、我々の肉体は重すぎる。
ぼくたちは永遠に存在を追い越すことができない、それだけだ*2
 我々の存在は肉体をもってしてこの世界に構成される。いや、肉体とは世界を組み立てる強烈なモメントであって、それは災禍へと向かう坑道から脱出するには重すぎる。存在の耐えられない重さ。存在は常に重すぎる。荷を軽くすることはできないのだ。
 生存するとは重い荷を担い続けること。荷は災禍の到来を待つまでもなくこの身に伸し掛かっている。ならば、せめてもの支えを構築することはできないか。無限遠点から演算される猶予としてではなく、生存を擁護することはできないか。それは私を救うため、それは他者を救うため。生き延びるための根拠を今ここにおいて仮組みすること。出口はない。ならば、せめて庵を。荒野に小屋を。この暗闇に明かりを灯すこと。ぼくはどうして生きているのか?わからない。それでも、どうしようもなく生きていたいのだと思う。
 
  

資本主義リアリズム

uta0001.txt―中澤系歌集

*1:

unleashmag.com

*2:中澤系「to mean, it's mean」『uta0001.txt――中澤系歌集』:31頁

不確かなものについて考え続けることの倫理的要請とその苦しみ

ぼくは、いわゆる人文学をやっている人間だ。もっと正確に言えば、その門前に立っている、といったくらい。人文学とひとくちに言ってもその内実は様々であって、色んなことをやっている人々がいる。ぼくのディシプリンは(おそらく)芸術学だ。芸術学をディシプリンとして規定するのはけっこう難しくて、むしろ、芸術を対象として、いくつかの学の知見を用いながら研究をしている、と言ったほうがよく説明できている気がする。芸術を対象にするにしてもこれまた色々なスタイルがあって、ぼくがやっているのは、ある芸術家ユニットについてその作品や文章(これもまあ、作品と言ったほうがよいだろう)を分析しながら、その思想――彼らは何を考えていたのか――を詳らかにしていく、という作業だ。

そもそも、なぜこういうことを始めたのか。就活をしているときに考えたのだけれど、根本にある大きな動機は、「他者を理解したい」ということだったように思う。ならば社会学とか心理学とか文化人類学とか、もっと他のディシプリンを選んでもよかったのでは、と思われるかもしれない。確かにそうだ。でも、芸術を対象にする、と決めたときのぼくはたぶん、自分とすごく異質で遠い対象を選ぶことによって、別な仕方の思考について考えたい、というようなことを考えていたはずだ。これはかなりステレオティピカルな物言いになってしまうけれど、ある種の芸術家はとてもエキセントリックな思考をしている。つまり、彼らは全然ふつうではない。その「ふつうではなさ」に手をのばすことが、あるいは、その「ふつうではなさ」を擁護することが、なんだかとても必要なことだと思ったのだ。実際には隣りにいる他者でさえも本質は無限であり、全然ふつうではないのだけれど、しかし、芸術家たちは、「ふつうではなさ」を意識的に/無意識的に先鋭化させていていることが多く、より取り組みがいがある、と考えていた。とはいえ、ミーハーな部分があったことも否定できないけれど。

しばしば槍玉にあがることだが、人文学はとても不確かな部分をふくむ。もちろん、実証研究がある程度可能で、比較的広く理解されやすい証拠を提出することがしやすい分野もあるけれど、多くの分野では、現行の学問の制度が求めるような「確かさ」を用意することが難しいことも多い。もちろん、この「確かさ」――全部がそうだと言いたいわけではないし、ぼくは別にアンチ・エビデンス主義者だというわけではない、ということは付言しておきたい――だって恣意的な基礎の上に立っていることがしばしばあるのは知られている通りだ。とはいえ、人文学における「確かさ」が、専門家集団の外から見て、得心のいきづらいものであるというのは否定できないだろう。たとえば、あるテキスト群からその著者の誰其はこう考えていた、ということを導き出すのには、どうしたって「不確かさ」がつきまとう。

でも、こうした「不確かさ」は、人文学の核に存在するものではないだろうか。それは現行の学問制度とは反りの合わない面を持つにせよ、失われてはならないものなのだとぼくは思う。不確かだからこそ、ぼくたちはそれについて考え続ける。「確かさ」と「不確かさ」を行き来しながら、不確かなものへと手を伸ばし続ける。それこそが人文学における思考というものだ。

ぼくのディシプリンに引き受けて考えてみよう。芸術作品や、芸術家の書いたテキストは、とても支離滅裂で不確かなものであることも多い。ふつうな論理では出現しないものがそこにはある。それでも、その「ふつうではなさ」「不確かさ」の塊のなかに、なんらかの「ふつうではない」論理が見いだしうるかもしれない。なんらかの、外れ値的な真理が存在するかもしれない。この「かもしれない」に賭金を置いて、ぼくは、証拠となりうるものを集め、それを飛び越えたりそこに立ち戻ったりしながら研究をしている。

ある文化人類学の講義で聞いた先生の言葉で、とても印象的なものがある。曰く、「文化人類学者は、行って帰ってこなければならない」のだと。行ったきり帰ってこなければ、それは普遍性を欠き、学たりえない。おそらく他の分野でもこれは同じだ。学たりうるため、あるいは、強度のある思考であるためには、帰ってくる必要がある。他者に開かれた思考でなければならないのだ。

それは「不確かさ」について誠実であるためにも重要な態度だ。たとえ「不確かさ」がどれだけ重要なものであっても、そこに全面的に依拠するのでは、それは盲信と変わらないものとなってしまう。「信」もまた人文学にとって根本的に重要なものには違いないが、しかし、それは盲信とはまったく異なる事態だと思う。

いわゆる「エビデンス主義」に対して、人文学を擁護する際に典型的な仕方は次のようなものだ。すなわち、人文学は、非合理な存在である人間とその営みを対象とするがゆえに、非合理性を孕まざるを得ないのだ、と。これで多くの人々を納得させることができるかはわからないのだけれど、ぼくは基本的に同意する。たとえば、非科学的とされ圧倒的に廃れつつある精神分析が、驚くほど明快に病理を説明することがあることを考えてみたとき、人間というのは不確かな存在であって、それを対象とするならば、それなりの――不確かな――方法が存在するのではないかと思うのは、そうおかしなことではないはずだ。

 しかしながら、問題となるのは「信」である。何に対する「信」か?言うまでもない。「人間は非合理な存在である」という前提に対する「信」だ。ディシプリンごとに前提は少々異なるし、「科学」と「人文学」を比べてみれば、学の体制としてどのような前提を信じているかは大きく異なるだろう。さきほど「盲信」と「信」は異なる、と言ったのはこうした事情のためだ。

「不確かさ」を核に置くということは、「不確かさ」を信じ続けるということでもある。それは倫理的に要請される事態だ。紛いなりにも人文学の片隅にいるのだから、僕もまたここに「信」を置くもののひとりだ。そもそもの根本動機である「他者を理解したい」にとっても、不確かさ、自らと異質なものを信じ続けることはきわめてクリティカルな基本的倫理だと思う。

 

しかしながら、この「信」を保ち続けるのはしんどいなと思うことが時折ある。

 

やや牽強付会の感を否めないが、ジャック・デリダの『雄羊』の話をしよう。この本は、死去したハンス=ゲオルグ・ガダマーを記念して行われたデリダの講演の記録であり、パウル・ツェランの詩「雄羊」、とりわけその最終行「世界は消え失せている、私はおまえを担わなければならない」という一節についての分析を軸に、死者ひいては他者に対しての倫理について語ったものだ。森村修による論文を参照しながら、すこし、この本に書かれていることについて触れていく。

親しい他者がこの世を去ったとき、人は喪に服す。何のためか?それは故人を悼むためであり、なおかつ、悲嘆のなかで自らが陥った例外状態から日常に復帰するためだ。「フロイトによれば、「喪の作業」とは、正常な日常生活に戻るために、自我が多大な労力と努力をはらった末に、日常性に復帰することによって抜け出すことのできる「苦役=作業 travail, Arbeit, work」にほかならない。しかしそれは、「生き延びる者」にとっては、「喪の作業」は多大な苦痛を伴う「苦役=作業」であるが、結局のところ、日常性に復帰するという「成功」で、「苦役=作業」は完了する」*1

もちろんこうしたフロイト的な「喪」を引き受けた上で、デリダの言う「喪」には、より強力で――なおかつ困難な――負荷が掛けられている。デリダに言わせれば、「喪」は他者の死によって始まるものではない。「喪」は、他者が生きて存在しているときに、出会ったその時から既に、始まっている。

だから私の言うメランコリックな確信は、相変わらず友人の生前から相変わらず友人たちの生前からすでに始まっている。中断から始まるばかりでなく、中断の言葉からも始まっている。(中略)このとき喪は、もはやただ待ってはいない。この最初の出会いからただちに中断は死を受け入れ、死の先回りをして、容赦のない前未来によってそれぞれを喪に服させる。私たち二人のどちらかが、ただ独りで残らなければならなくなるだろうということ、私たちは二人とも、前もってそのことを知っていた。*2

 フロイトデリダの差異はそればかりでない。両者では、「喪」のあり方そのものが根本的に異なるのだ。以下に引用するような事態にあって、デリダの「喪」は、他者に対する基本的倫理としての次元にまで拡張されている。

つまり、フロイトに対して、デリダは正常(normal)の喪が他者を「自己の内部に自己として保存 (=世話)する」ことが、すでに他者を忘却することをすら忘却することに繋がると述べている。デリダによれば、友を「二度殺す」ことをしないで、「生き延びる」ためには、フロイトの「同一化」を回避し、正常な日常性へと復帰する「喪の作業」を拒否することだ。その結果、デリダは、積極的に「病的な喪」としての「メランコリー」を引き受けるしかない。デリダが 、他者(ガダマー)に忠実であるためには、そして他者(ガダマー)の単独=特異な他性を尊重するためには、デリダは自らの内に他者(ガダマー)を担わなければならない 。それが、ガダマーに対するデリダの「倫理」である。
 デリダが語っている「倫理」とは、自分の内に取り込まれた他者が自我と「同一化」することによって他者の単独的=特異的な他性を喪失し、他者を「喰う」ことで「体内化」し、自我となる(=我有化される)ことを避けることだ。「正常な喪」では、私(自我)の内部で、他者が他者であること(=他者の他性)が忘れられるだけでなく、忘れたことすら忘れてしまうことが生じる。それこそが、まさに「正常の喪」であり、デリダはそれを「健忘症の良心」と呼ぶ。それに対してデリダ自身は、愛された「他者」(ガダマー)を忘却の淵に沈めないために、ガダマーの他性を喪失しないために、彼を自らの内部に保存しなければならない。そして、決して自らの自我に同一化させず、「体内化」もせず、「私」=自我の内部で喪失させないために、デリダは「メランコリー」に耐えなければならない(「メランコリーが必要なのだ」)。つまり、自我と他者とのあいだに「倫理」が成立するためには、他者が自分の内部に存在しなければならない 。自我と同一化した他者は、もはや他性をもった他者ではない。それゆえ、自我と同一化された他者(=自我)とのあいだには、もはや「倫理」は成立しない。*3

 幾分か込み入った論立てではあるけれど、ここで要請されているのは極めてシンプルなことだ。私は出会ったときから他者を他者そのままに担わなければならない。自我に記憶される他者を整理整頓して秩序のうちに取り込んでしまうのではなく、異質性、存在の謎、それらを引っくるめて、保持しなければならない。食物に移し替えて考えてみると次のような比喩が成立するだろう。すなわち、身体に侵入した(摂取した)異物を、消化してしまうことなく、排出することなしに、そのままの姿で胃の腑に留め置かねばならない。

フロイトにあってメランコリーという病的事態からの脱出のために必要とされた「喪の作業」は、デリダによって変形され、他者に対する倫理的要請そのものとして鋳直される。きわめてまっとうな要請であり、ある種の倫理学が行き着く極点がここには記されているだろう。しかし、それは、人を病のもとに留め置くように仕向けるものでもある。ここで人は他者に対して倫理的であるかぎり、メランコリーに苦しみ耐え続けなければならないのだ。

食べたものがいつまでも胃の中で消化されず残っていれば、それは立派な病気だ。滞留する異物は人の健康を害し、ときにその命を奪いもするだろう。倫理に誠実であり続けた先にあるのは、同様な帰結であるかもしれないと思うことがある。

 

そしてまた、長い長い迂回を経て、勉強や研究をしている中で出現する「不確かさ」についても、同じようなことを感じてしんどくなることがある。「不確かさ」について誠実であるかぎり、他者を、異質性を、得体のしれなさを、合理化してしまうことなく取り扱わなければならない。それはある意味で、異物を自我のうちに留め置き続けることである。さきほど書いた道筋を辿れば、それは病につながりかねない行為だ。

たぶんぼくは、信じ切ることができていないのだと思う。あるいは、倫理を遂行するにたる、不確かなものについて考え続けるための強靭さを持ち合わせていないのかもしれない。そんなことを思いながら、ときどくしんどくなったりしている。

 

雄羊 (ちくま学芸文庫)

*1:森村修「喪とメランコリー(1) デリダの<精神分析の哲学>(1)」, 法政大学国際文化学部『異文化 論文編』16巻, 2015:p.128

https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=10763&file_id=22&file_no=1&nc_session=57u9p9cpjdhdgn50pucl440pc7%20target=

*2:ジャック・デリダ, 林好雄訳『雄羊』, 筑摩書房, 2006:p.20

*3:森村, 同:pp.130-131

皮膚

手荒れがひどくなったりする。

昔からずっとそうで、治ったり荒れたりを繰り返している。本当は皮膚科に行くべきなのだが、億劫で、いつも市販薬を塗って、ひとまず皮膚が肉を覆っている状態になればケアすることも忘れてしまう。

利き手の方がひどくなりがちで、だから、手が荒れると色んなことが億劫になる。皿洗いがひとつの極致だ。

たかだか薄っぺらい皮が壊れてしまい、肉が露出してしまうだけだ。それでも痒かったり痛かったりかさぶたができたり、いろいろな反応を肉は世界に対してするわけで、人間というのは皮膚に包まれた肉のかたまりであるのだなと思う。

個体である限り皮膚は肉と世界の界面として要請される。肉はそれのみで世界に曝されたままあることはできない。血や他の体液で表面を濡らしたまま生きることは苦痛を伴う。薄い皮膚がこの体の個体性を保証している。

転んでできた擦り傷だって同じことだけれど、傷は肉の脆弱さをいとも簡単に暴露する。この私という個体の生存が、薄く弱い皮膚によって包まれることなしには存続しえないということ。まさしく薄皮一枚に担保された生。

その皮膚も壊れることがあるわけで、まるでいたちごっこのように傷ができてはかさぶたが覆う。生きていくことは、壊れながら恢復し続けることだ。

手の壊れた皮膚を見るたび、漫画版ナウシカに登場する皇弟ミラルパのことを思い出す。不老と長生のために人造の皮膚と肉体を用いていた先代皇帝が、その皮膚が破けていったがために血と肉を床に撒き散らして死んでいくシーン。ミラルパはこのシーンをトラウマとして抱え、老化に抗うために人造皮膚の使用を進言されたとて殊更に拒否する。

手の壊れた皮膚を見るたび、もしかしたらこのひび割れが、肉の露呈が、少しずつ広がっていって死ぬのかもしれないな、と思う。いつか、傷にかさぶたが追いつかなくなったときに。いつか、崩壊の速度が、治癒の速度を確実に上回ってしまったときに。

しかし/だから、それまでは生きていよう。壊れた手で皿を洗おう。荒れ果てた界面で世界に触れていよう。すべてが裂け、血みどろの肉が世界に撒き散らされるその時までは。

少なくともまだ、その時は訪れていない。

 

 

壊れながら立ち上がり続ける ―個の変容の哲学―

 

 

 

二十歳のセンチメンタリズム

J'avais vingt ans. Je ne laisserai personne dire que c’est le plus bel âge de la vie. Tout menace de ruine un jeune homme : l’amour, les idées, la perte de sa famille, l’entrée parmi les grandes personnes. Il est dur d’apprendre sa partie dans le monde.

Paul Nizan. Aden, Arabie.

 

二十歳というのはやはり特別な年齢なのだろうか。ご多分に漏れずかつて僕だって二十歳であった。もうずいぶんと前にその時期を過ぎてしまったけれど、ときどき、僕の二十歳とはどんなものだったろうか、と考え込んでしまう。この決定的な時期に僕は、なにか決定的なことを為しえただろうか、と。そういう意味では、僕はまだ、二十歳のセンチメンタリズムを引き摺っているのだと言えよう。

いま僕が二十歳という年齢について思いを巡らせているのは、つい先ごろに高野悦子の『二十歳の原点』を読んだからだ。

二十歳の原点 (新潮文庫)

出版は1971年、学生運動の熱気が去ってのち、そして著者自身が69年に二十歳にしてこの世を去った2年後のことである。この本は、高野の自死ののち残された日記を遺族が編纂してものされたものだ。学生運動との微妙な距離、あるいはひとりの個人として資本制と全面的対決を行うことの困難さを吐露する、内的でかつ時代に彩られた言葉が綴られている。

そもそもこの本を読み始めたのは、國分功一郎『暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)を読んだあと眺めていた、同書のブックフェアに際して國分が挙げたブックリスト(https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20111215201539.html)に入っており、なんとなく興味を喚起されたためだった(それに、文庫は手にとりやすい。本の判型にもいろいろとあるけれど、文庫本が好きだと思う。小さくて安い。ポケットに入る)。おそらく國分はここで、退屈に殺された者の徴候例として『二十歳の原点』を取り上げている。運動に参加するかどうか――あるいは代々木派であるかどうか――がある種の決定的な差異であると感じられていた時代に、自己をどのように定立すべきか、高野にとってのもっとも大きな問題はそれであった。しかし一方でその自己決定の仕方は、実存主義決断主義の魅せる幻影でもある。自分が何者であるか、それを何らかの立場に寄せる形で決定しようとすることは、実際には、(大文字の)他者に自己を同一化することで、「気晴らし」をしようとすることでしかない。とはいえ何者かになることとは、おしなべてそのようなことである。ニーチェの言うような超人であることはとても難しい。高野は自己の確立を目指しアイデンティティの隘路でもがくうち、摩滅してしまった。

二十歳が特別な時期のように見えるのは、やはりそれが我々にとって端境期であることに大きな要因を求めることができよう。二十歳という年齢は、まずは「大人」になる年齢として想起される。酒を飲み、煙草を吸い、馬券を買うことが許される年齢のことだ。とはいえ、そんなことは些事でしかない。もっと大事なのは、この時期に人は「子供」から「大人」となるのだということ、つまり、保護者の庇護下を離れて、一人立ちしていくのだということだ。これはきわめて近代的な事象、近代という時代に局限された事象であり、そしてそうであるからこそ、一人立ちするということは、生きていくために労働に身を投じ、資本制にいよいよ組み込まれるということに他ならない。

高野の日記は、終盤に明らかに「終わり」へと向かって加速していくのだが、そのターニングポイントにもこの問題がある。

◎五月三一日

 きのう東京にて。姉と話す。父母と話す。決裂して飛び出す。八・〇〇PM京都につく。非常に疲れている。次第に自分に自信をなくしている。

 

「家族との訣別」経済的自立を目指せ。(...)

(188頁)

 最後の日記の日付は六月二十二日となっている。さておき、彼女が「家族との訣別」を果たさねばならなかったのは、ひとつには闘争学生としての自己の有り様を両親は決定的に理解し得ないと思われたためであり、またひとつには、両親より仕送りを受ける大学生という自らのブルジョワ的身分と、「闘争」の理念が大きく乖離していると思われるためであった。それ以前より高野は自らの生活費をアルバイトで賄うことを決定し実行していたのだが、「訣別」により今度はいよいよ「金がない」という生存の不安に脅かされることとなった。次に引くのは先の引用の翌日、六月一日の日記である。

 姉の家を一銭も持たずにとび出し、東京のどまん中を二時間半も歩いた。お金がないということ、それは決定的だ。テレする十円さえもなくて、落ちていないかと路面ばかり見て歩いた。まさに乞食だ、ルンペンだ。

 

 生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ち止まり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押し寄せてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる。

 怒りと憎しみをぶつけて抗議の自殺をしようということほど没主体的な思い上がりはない。自殺は敗北であるという一辺の言葉で語られるだけのものになる。

(190頁)

 生きることは苦しい。まさに。彼女は思考を停止させないことによってこれに抗しようとする。流れ去っていく日常に、楔を打ち込もうとすること。しかし彼女の闘い方は身に親しんだ運動の論理と言葉に執着することともなり、それによって彼女の生に「停止」を招来してしまったかのようにも思われる。『暇と退屈の倫理学』ふうの言葉を使えば、彼女は環世界移動能力を生かすことができず、退屈にやられてしまったのだと思う。

彼女の自死を「敗北」だ、未熟な学生のセンチメンタルだと嘲笑うことはたやすくて、そして実際にそういった側面は否定しえないものでもあるけれど、それにしても、五十年を過ぎて今彼女の日記を読むとき、少なくとも彼女にとってこのセンチメンタルはきわめて大きな問題であったのだ、ということは言っておかねばならないだろう。そしてそれはまた、資本制下に生きざるをえない我々の問題でもあるのだ。

なんだかずいぶん長く『二十歳の原点』について書いてしまった。ほんとうは二十歳を生き延びてなお、二十歳のセンタリズムはしばしば回帰してくるのだということを書きたかったような気がするのだけれど、ひとまずこのあたりで一旦切り上げることにしよう。

 

 

ポール・ニザン著作集〈1〉アデン アラビア

 

二十歳のエチュード

アーレントのマルクス: 労働と全体主義

 

 

 

5月5週

風邪がなかなか治らない。熱が帰ってきてバイトを休んだりする。むしろこのくらいの怠さこそが平常運転なのだという気がしてくる。

調子が悪いときは小説を読むのがよく進む。時間があることは大きな理由としてあるけれど、なんらかの栄養分みたいなものを身体が求めているのだと思ったほうが後味はよい。しばし別の身体で生きることを考えてみる。

ディスクユニオンベートーヴェンの「大公トリオ」のレコードを見つける。(まさしく『海辺のカフカ』で比べられていた)スーク・トリオと100万ドル・トリオのもの。

 

ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97 《大公》 I- Allegro moderato

ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97 《大公》 I- Allegro moderato

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2枚とも100円で買う。つくづくミーハーな音楽の聞き方をするものだ。先入観があることは否めないし、録音や盤の状態の違いもあるけれど、スーク・トリオの演奏のほうが(やはり)好きだった。必要十分なつくりをしていて、ぴったりと来る。今週は家にいる時間も長かったので繰り返しこれを聞いていた。何度も盤を裏返すそのたび、小気味よい中断が時間に差し挟まれる。時計とは別様のやり方で時間を組織すること。少なくとも、じぶんの家にいるときくらいは。

人に風邪をうつしてしまった。見舞いに行き、りんごを剥いたりする。頼られることはうれしいことだ。人に頼ってもらえるときはだいたい、その人は何かしら困っているわけで、あんまりうれしく思うのもどうかと思うのだけれど。「頼る」という言葉を使うと主体と客体がはっきりしすぎてしまうから、もうすこし弱い言葉を探さなきゃいけない。僕たちは自らの存在の根本的なところを、他者(人間や生物とは限らない)から借りたり、他者に預けたりしている。Es gibt でよく言われる話のことだ。頼ったり頼られたりすると、この存在の根底における信頼みたいなものをすこし確かめた気になるのかもしれない。ところで、6つに切ったりんごのうち4つは僕が食べてしまった。

 

みじん切りにした玉ねぎを炒めている。新玉ねぎが水分を出してくれるので、焦げ付きづらくてありがたい。

 

 

 

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

 

祝日

祝日

  • カネコアヤノ
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週末とその周辺・リミックス

熱は下がる。

相変わらず空の青みが薄い。夏に近づけば近づくほど、空の青みは薄れていくような気がする。それでは、僕らの記憶に残る、いつかの天高くまで突き抜けて青いあの夏空は、いったい何なのだろう。サマー・コンプレックス。

のそのそと起き出し、朝のうちに『騎士団長殺し』を読み終わる。2年間くらい本棚に積みっぱなしだった『みみずくは黄昏に飛びたつ』をようやく開く。誰に止められた訳でもないのに、『騎士団長』に踏み込んでいるらしいという話を聞いてから、それを読了するまでは取っておこうと決めていた。勝手な制約。いくつもの縛りをそれとなく設けながら、自分の形を確かめている。

 

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鴨居玲《肖像》, 1985

作中何枚かの絵画が登場するわけだけれど、そのうちの2枚について、鴨居玲のことを思い出す。顔面をその手に持つ無貌の人。いくつもの仮相をとってそれは僕らの前に現れる。幾度となく。それは勝手な制約のようなものかもしれない。

*

風邪は快癒しない。失われたものを回復するのには長い時間がかかる。一度澱んだ流れはしつこく滞留する。流れによって僕は多くの物事を理解しているのだという気がする。いくつもの流れがあって、その入り交じるところに浮き沈むのが僕という存在だ。流れが滞ってしまえば僕という存在もどこかうまくいかなくなってしまう。そんなときには何らかの仕方で流れを通してやる必要がある。溜まった洗濯物を片付けること。花瓶の水を変えること。涙を流すこと。

六本木アートナイトをしばし漂流。土方巽「疱瘡譚」の映像が上映されていて驚く。基本的にきわめてどうでもいいものの中に、これであったり数年前のダムタイプ上映であったり、ハードコアのアートが挿入されているのが面白いと思う。

村上『海辺のカフカ』を読む。散らかっているはずの物語が、なぜだかある地点において収束している気にさせられる。カタルシス。「文学とは感情のハッキングである」とは、山本貴光『文学問題(F+f)+』の売り文句だった。

「世界はメタファーだ、田村カフカくん」と大島さんは僕の耳もとで言う。「でもね、僕にとっても君にとっても、この図書館だけはなんのメタファーでもない。この図書館はどこまで行っても――この図書館だ。僕と君のあいだで、それだけははっきりしておきたい。」

「もちろん」と僕は言う。

「とてもソリッドで、個別的で、とくべつな図書館だ。ほかのどんなものにも代用はできない」

僕はうなずく。

 

村上春樹海辺のカフカ 下』新潮社、2005:523

 村上春樹はもちろんとても緻密な作家だから、その筋書きもまたよくよく構成されているはずだ。しかし僕は物語の糸に絡まったまま解すことをせずに読み進め、ここに至って何も理解しないままにただ一粒涙を落としてしまった。「文学とは感情のハッキングである」。感情は思いもよらぬ仕方で呼び起こされることがある。

招かれて友人と素麺を食べる。ついでに西瓜もいただく。夏はそれほど得意ではないけれど、夏の訪れがすこし楽しみになる。

萎れてしまった花を花瓶から除け、まだ生き生きとした一輪を挿す。花の美しさでさえ、交換可能なものなのだろうか。すこしずつ、雨の匂いが近付いている。季節の変わり目には風邪を引きやすくなる。

 

 

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

 

 

 

みみずくは黄昏に飛びたつ

みみずくは黄昏に飛びたつ

 

 

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 

文学問題(F+f)+

文学問題(F+f)+

 

 

 

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

 

 

20190524

微熱が続いている。体温は時折上がり、さっき計ったらもうこれは微熱ではないなと思う。

今朝は空の青みが薄かった。気温が上がる。午後の緑がかった光。太陽が沈んでいく。空を赤く染めることもなく、ただ真っ白な光球が向こうの建物の裏へと回っていく。

 夏みたいな気温だけれど、さやかな風が吹いていて、ぼくたちの知っている湿度の高い夏とはまったく違う。

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み始めた。文庫になって、それがブックオフに流れ出してから読もうと友達と言っていた。それが僕らなりの世界との距離のとり方だった。けっきょく4冊のうちの3冊しかなくて、1冊は新刊書店で買ったのだけれど。

取り込んだままの洗濯物が窓際に積もって山をなしている。山というよりは台地?クリスチャン・ボルタンスキーの作品のことを思い出す。新美での展示が楽しみ。

体温を計りなおす。微熱に戻っている。微熱が微熱でなくなるその境目のことはよく分からない。閾をさまよっている。