屋上屋

屋上で小屋を建てている

読書

西藤定『蓮池譜』

いただきものの感想を。 * 青嵐 鰯が飛んでいるようなにおいの町に平日もいる(170) ただ地上で佇んでいるときにもからだには1気圧の力がかかっていて、それで私たちが潰れてしまうことがないのは、体内に存在する空気が同じ力で押し返しているから、らしい。…

日記 20210425

人通りが少なくなった商店街。「CLOSED」の札がかけられた店舗があり、「臨時休業」の張り紙がしてある。そのような店舗が一つならずあり、電気の消えた街並みは薄暗く、月が見慣れない明るさで浮かんでいた。こうして街は死んでいくのだなということ、そし…

日記20200831

仕事を終え、職場のビルを出たところで、風の意外なつめたさを知る。八月の終わりを感じるにはお誂え向き、しかし今年はまだ台風も夕立も浴びていない。夏の空気というものをいちばん感じるのは、照る日の力強さやうだるような暑さでもなくて、ただ暴力的に…

砂漠の果て、海のほとり――千種創一『砂丘律』についての試論

Die Welt ist fort, ich muß dich tragen. Paul Celan * 序 * 感情を残すということは、それは、とても畏れるべき行為だ、だから、この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、…

山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』、中央公論新社、2019

現代美術について書かれたものは日々増えていくけれど、「現代美術史」とその名に冠するものはなかなか書かれない。それは「現代美術史」を記述することの困難さに起因するところ大で、きわめてまっとうな理由があるわけだけれど、とはいえ、なんらかのきっ…

生き延びるための仮組み

出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ 中澤系 きみは、どうして生きているんだい? こう問われたとき、明瞭に答えを返すことのできる者はどれほどいるだろうか。 他でもない自己自身を、ひとまずのあいだは生かし続けること、これは自明の…

不確かなものについて考え続けることの倫理的要請とその苦しみ

ぼくは、いわゆる人文学をやっている人間だ。もっと正確に言えば、その門前に立っている、といったくらい。人文学とひとくちに言ってもその内実は様々であって、色んなことをやっている人々がいる。ぼくのディシプリンは(おそらく)芸術学だ。芸術学をディ…

二十歳のセンチメンタリズム

高野悦子『二十歳の原点』に寄せて、二十歳という端境期におけるセンチメンタリズムのことを考える。二十歳を生き延びてなお人は、亡霊のように回帰する二十歳のセンチメンタルとともに生きていく。

週末とその周辺・リミックス

熱は下がる。 相変わらず空の青みが薄い。夏に近づけば近づくほど、空の青みは薄れていくような気がする。それでは、僕らの記憶に残る、いつかの天高くまで突き抜けて青いあの夏空は、いったい何なのだろう。サマー・コンプレックス。 のそのそと起き出し、…

20190524

微熱が続いている。体温は時折上がり、さっき計ったらもうこれは微熱ではないなと思う。 今朝は空の青みが薄かった。気温が上がる。午後の緑がかった光。太陽が沈んでいく。空を赤く染めることもなく、ただ真っ白な光球が向こうの建物の裏へと回っていく。 …