屋上屋

屋上で小屋を建てている

雑記

われらみなbotのようなもの

一人ののあいだに到達するかどうでもいい、それは短い観念〉にもノマド的な隠語なの将軍は世界のです、もはや二分法的な本というものは多分雑草である。— ひるめり (@hirumeri) 2021年6月30日 (シーニュ))実に奇妙な強度、機械となったものである頂点への…

日記 20210503

僕は選ぶ。僕は選んだ。僕は選ぶだろう。僕は。 一九五七年、人間が作った地球生れのある物体が宇宙めがけて打ち上げられた。この物体は数週間、地球の周囲を廻った。そしてその間、太陽や月やその他の星などの天体を回転させ動かし続けるのと同じ引力の法則…

土井善晴の新刊告知を見て考えたこと

Twitterで見かけた土井善晴の新刊は『くらしのための料理学』というらしい。「学」ときましたか。 わー❣️うれしい 見本誌があがってきました。そもそも料理とはなんですか(?)という問いに答えようと書きはじめたことが一冊になりました。料理がわかると料理…

道端に座り込むこと

都市的な空間に出た。街から人の姿が消えていたのはもう昔々のこと。今日の街には人の姿が溢れていて、まるで大昔に戻ったみたいだった。それでも見なくなった姿というのもあるな、とふと気づく。路石に、道端に、座り込んでいる人々の姿だ。 とはいえ、ここ…

遺失物

浪人生だったころ住んでいたのは地方のある町であり、その町はお世辞にも栄えているとは言えなかった。大手の予備校なんてものもあるわけなくて、ぼくは片道1時間強のあいだ高速バスに揺られながら隣県の中核都市にある予備校に通っていた。浪人生の時間割は…

日記 20200510

雨の予報だった。昼前に起きてみると太陽が顔を出している。空気は湿り気を帯びたままで、気温は上がっていく。半袖で曖昧な午後を過ごす。 日が沈めば涼しくなっていく。しかしながら空気は相変わらず湿ったままだ。夜風に粘度を感じる。こういう夜はきのこ…

砂漠の果て、海のほとり――千種創一『砂丘律』についての試論

Die Welt ist fort, ich muß dich tragen. Paul Celan * 序 * 感情を残すということは、それは、とても畏れるべき行為だ、だから、この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、…

黒島追想

「黒島」と名のつく島は日本にいくつかある。今回書きたいのは、長崎県佐世保市に所属する黒島のことだ。 (ここです) 現在の居住者は五百人ほど。それほど小さくはなく、しかし決して大きくもない。本土からはフェリーに乗って1時間足らずで着く。やはり…

生き延びるための仮組み

出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ 中澤系 きみは、どうして生きているんだい? こう問われたとき、明瞭に答えを返すことのできる者はどれほどいるだろうか。 他でもない自己自身を、ひとまずのあいだは生かし続けること、これは自明の…

不確かなものについて考え続けることの倫理的要請とその苦しみ

ぼくは、いわゆる人文学をやっている人間だ。もっと正確に言えば、その門前に立っている、といったくらい。人文学とひとくちに言ってもその内実は様々であって、色んなことをやっている人々がいる。ぼくのディシプリンは(おそらく)芸術学だ。芸術学をディ…

皮膚

手荒れがひどくなったりする。 昔からずっとそうで、治ったり荒れたりを繰り返している。本当は皮膚科に行くべきなのだが、億劫で、いつも市販薬を塗って、ひとまず皮膚が肉を覆っている状態になればケアすることも忘れてしまう。 利き手の方がひどくなりが…

二十歳のセンチメンタリズム

高野悦子『二十歳の原点』に寄せて、二十歳という端境期におけるセンチメンタリズムのことを考える。二十歳を生き延びてなお人は、亡霊のように回帰する二十歳のセンチメンタルとともに生きていく。