5月5週
風邪がなかなか治らない。熱が帰ってきてバイトを休んだりする。むしろこのくらいの怠さこそが平常運転なのだという気がしてくる。
調子が悪いときは小説を読むのがよく進む。時間があることは大きな理由としてあるけれど、なんらかの栄養分みたいなものを身体が求めているのだと思ったほうが後味はよい。しばし別の身体で生きることを考えてみる。
ディスクユニオンでベートーヴェンの「大公トリオ」のレコードを見つける。(まさしく『海辺のカフカ』で比べられていた)スーク・トリオと100万ドル・トリオのもの。
2枚とも100円で買う。つくづくミーハーな音楽の聞き方をするものだ。先入観があることは否めないし、録音や盤の状態の違いもあるけれど、スーク・トリオの演奏のほうが(やはり)好きだった。必要十分なつくりをしていて、ぴったりと来る。今週は家にいる時間も長かったので繰り返しこれを聞いていた。何度も盤を裏返すそのたび、小気味よい中断が時間に差し挟まれる。時計とは別様のやり方で時間を組織すること。少なくとも、じぶんの家にいるときくらいは。
人に風邪をうつしてしまった。見舞いに行き、りんごを剥いたりする。頼られることはうれしいことだ。人に頼ってもらえるときはだいたい、その人は何かしら困っているわけで、あんまりうれしく思うのもどうかと思うのだけれど。「頼る」という言葉を使うと主体と客体がはっきりしすぎてしまうから、もうすこし弱い言葉を探さなきゃいけない。僕たちは自らの存在の根本的なところを、他者(人間や生物とは限らない)から借りたり、他者に預けたりしている。Es gibt でよく言われる話のことだ。頼ったり頼られたりすると、この存在の根底における信頼みたいなものをすこし確かめた気になるのかもしれない。ところで、6つに切ったりんごのうち4つは僕が食べてしまった。
みじん切りにした玉ねぎを炒めている。新玉ねぎが水分を出してくれるので、焦げ付きづらくてありがたい。