屋上屋

屋上で小屋を建てている

土井善晴の新刊告知を見て考えたこと

Twitterで見かけた土井善晴の新刊は『くらしのための料理学』というらしい。「学」ときましたか。

 

帯文に「その道40年、集大成にして入門の書。」とあるこの本に「料理学」というなんだかぎりぎりな感じのするワーディングがなされているのはおもしろいし、未読ながらなんだか引っかかるなという感じがする。

「料理学」といえばやはり『丸元淑生のシステム料理学』のことがまず思い浮かぶ。よく知られている通り、アメリカの栄養学を勉強した丸元がその知見を元手に節約術たることを旨としながら強烈なこだわりをもって書いた一冊であり、三浦哲哉の『食べたくなる本』で常軌を逸した量のあさりを用いる「あさりのスパゲティ」のレシピが取り上げられていたことも記憶に新しい。あるいはまた「料理学」と言わずとも、『Cooking for Geeks』、さかのぼって『台所重宝記』など、一般向けの料理本においても料理に対して注がれる学的な——科学的な——関心というものは長らくあり続けてきたのだろうなということは言えるだろうし、「料理学」という言葉もあまり不自然なものではないのかもしれない。

それにもかかわらず、『くらしのための料理学』の告知を見たときにざわめくものを胸に感じてしまった。なんなんだろう、このしっくりしない感じは。しばらく考えてみると、土井善晴と「学」なるものの微妙な距離感のことに思い至った。ちょっとばかり穿った見方になるけれど、しばし書いてみることにしてみよう。

さてその距離感、それはたとえば次のようなところに現れている。政治学者・中島岳志との対談本『料理と利他』から、土井の言葉を引いていく。

私が料理のことを科学者・学者の方とお話するというのは、料理に興味をもってくれているということがうれしいんですよ。そして、なにかわからないけども、先生ぜひ、料理のことを考えてほしいんです。なかまで、もっとこれをちゃんと科学的に捉えて、みんながわかるように、周知できるようにしてもらえたらと思っています。p.158

お料理という当たり前の毎日のことに、大切なことがあると、本気で気づいてくれた中島岳志先生に、お礼を申し上げたいと思います。この本は、私の思うお料理が初めて学問として認めていただいた証なのです。p.163

いずれも同書の巻末近く、対談の終盤であったり「あとがき」であったりに記されている言葉である。むろん対談相手の中島に対するリスペクトを示すための社交辞令的な意味合いもありつつ、「私の思うお料理が初めて学問として認めていただいた証なのです」のようないささか迫力のある言葉には、学問というもの、あるいは学問として「認めてもらう」ということが、土井にとってはことのほか重要だったのだ、というようなことを読み取ることができるように思う。言い直してみよう。土井にとって学問とは特別なもの、自らの実践を認めてくれる/認めてほしい相手なのではなかろうか。ここにおいて「学」はある種の「権威」として立ち現れてくる。

ところが、新刊のタイトルにおいては、土井自身が「くらしの料理学」の伝道者として立っている(ように見える)。彼自身が「権威」の座に位置している(ように思われる)のだ。タイトルに伺われるこのスタンスの変化がしっくりこなかったのだ、とひとまずは当初感じた違和感について了解することができる気がする。

しかしながら、そもそも土井は間違いなく「権威」である。もちろん「家庭料理」の。父・土井勝は「おふくろの味」という言葉を人口に膾炙せしめ、現在の善晴に負けず劣らず人気を博した料理研究家であり、ある意味で土井善晴は「二世」としてのエリート的な出自を持つ。彼自身が着実に積み上げてきたものも大きく、土井に対する市井からの信頼はますます高まってきている。その名声はもはや盤石たるものとさえ思える。現代の他の料理研究家と比べてみても、知名度などにおいて彼がひとつ抜け出た存在となっていることは明らかであろう。あるいは今となってはこうも言えるかもしれない。土井が「権威」であるがゆえにこそ、人々は安心して土井の言説を受容し、ますます土井のことを信奉することができるのだと。「そして、そんな人たちに、土井さんの料理論が一種の救済になっていることを知りました」とは前述の『料理と利他』、「まえがき」での中島の言葉であるが(p.3)、現代の他の料理研究家に比べても卓越した地位を土井が築いているのは、神も仏もないようなこの時代に、救いの手をさしのべるもの、いわばミニ弥勒菩薩としてありがたがられているため、ということが言えそうな気がする。

そして、「家庭料理」の「権威」という存在の様態には不穏な響きがある。もう少しこのあたりについて考えるため、伝記的なエピソードを迂回してみよう。各所で土井が書いたり話したりしている事柄だが、彼は若かりし頃、京都の河井寛次郎記念館にて家庭料理の善さ、美しさに目覚めたのだという。

そのころ、京都の河井寛次郎記念館で民藝と出合うのですが、暮らしの中の美しいものを見て、『ああ、家庭料理は民藝や』と気づいたんです。 平松洋子『食べる私』p.126

はい。『家庭料理』は民藝だと思い至ることによって、父の料理を受け継ぐ価値があると初めて感じられた。同、p.127

フランスや一流の料亭で修業を積み、プロフェッショナルな料理人として身を立ててゆくつもりであったにもかかわらず、父の料理学校に呼び戻されて、ややもすれば下にも見えてしまう「家庭料理」をやっていかなければならなくなる。おそらくは屈託もあっただろうが、「家庭料理は民藝や」という気づきを契機に腹が決まる。この気づきこそ現在の土井の出発点にあたるものであろうし、「家庭料理は民藝や」という直観にこそ土井の「家庭料理」観が凝縮されているということになろう。

言わずもがな民藝とは貴族的工藝に並置される民衆的工藝、「民衆が日々用いる工藝品」のことだ。それは「不断使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々」でありながら、いやそれゆえにこそ美しいものだとされる(柳宗悦『民芸とは何か』)。土井は民藝と家庭料理の類似点について、次のように述べている。

美しいものは逃げていく。でも、淡々と真面目に仕事すること、自分が生活をするということで、美しいものはあとからついてくるじゃないかということを、河井寛次郎濱田庄司は、発見するわけです。(...)そうすると、家庭料理もそれと同じだなと思ったのです。毎日食材という自然と向き合い、じかに触れながら、家族を思って料理する。そういった日々の暮らしを真面目に営み、結果として美しいもの(暮らし)がおのずから生まれてくる。そのとき、プロの料理人を目指していた私が下にみていた家庭料理のなかに、本当に美しい世界があるということに、気づいたのです。『料理と利他』p.25-6

民藝運動の主導者のひとりである柳宗悦の立論において、民藝というものがもつ美しさの究極的な根源は浄土教における「凡夫成仏」の観念に見いだされる。無名の職人たちの手によって作りだされる品々が、なぜかくも美しくなりうるのか、それは無心に淡々と仕事をしていくなかに阿弥陀仏の力(他力)がはたらくためである、と。 浄土教的な観念こそ提示されないものの、土井が家庭料理に見いだす美質はこうした民藝の美学をまっすぐ引き継ごうとするものだ。

人間の暮らしでいちばん大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、一番純粋なことです。そして純粋であることは最も美しく、尊いことです。『一汁一菜でよいという提案』p.85

気張ってごちそうを作る必要はない、もっと簡単な形--「一汁一菜」という「型」を守ること--でよい、ただ無心に一生懸命生活することが美しく尊いのだ、と彼は言う。柳らが「民藝」を見いだしその価値を掬い上げようとしたのとパラレルに、土井は「家庭料理」を見いだし、その価値を見直そうとしているのだと言えよう。いずれも名もなき人々の手仕事に目を向け、それを改めて評価するものである。そこにはごく普通な生活者へのリスペクトであったり、優しさや温かい共感、慈しみのようなものを感じることができる。ある意味で、彼らは我々がこの世界にあることを肯定し、認めてくれる存在であるのだ。土井の言葉を「救済」と感じる人々がいるのも無理からぬ話である。

しかし、こうした実践は非常に善いものであるのだが、その一方でそれが深まれば深まるほどむしろ逆説的に土井は「家庭料理」とは程遠い存在になっていくのではないか、という疑念がある。

「民藝」といえば柳宗悦らの固有名を思いうかべてしまうのは、それが幾千幾万もの名もなき人々のことを想起するよりも容易で経済的であるからでもあるが、何より我々が彼らの名を「民藝」にとって特権的なものとして記憶しているからに他ならない。それと同じように、いま我々にとって土井は特権的な存在としてある。彼は「家庭料理」の「権威」である。でも、それは彼が見いだした「家庭料理」のあり方とは矛盾するものではないだろうか?

二〇一三年十二月、和食(日本人の伝統的な食文化)がユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。(...)これはまさに、日本の国民の健康と暮らしの情緒に関わる家庭料理のこと(...)にも関わらず、メディアは、名のある和食の料理人ばかりに、マイクを向けるのはなぜでしょう。どうして、日本の家庭料理を担ってきたおばあちゃんや母親のもとに、行かないのでしょうか。『一汁一菜でよいという提案』p.104

暮らしの文化を担い、伝えてきた日本の女性たちの家事は社会的にリスペクトされず、褒められることがありません。残念に思います。同、p.106

土井が「家庭料理」の実践者たちとして真っ先に思い描いているのは、こうした女性たちの営みであり、あるいは自身の母である土井信子の姿であろうか。彼女らが毎日淡々とつくる「家庭料理」、イヴァン・イリイチ風に「シャドウ・ワーク」と言ってみてもよいが、長きにわたりその価値が正当に評価されず軽視されてきたこの営みの再評価を土井は試みる。それが意義深い仕事であることに異論の余地はないが、その一方で土井はどんどん「有名」になってしまう。「家庭料理」はなによりも「無名」の人々のものである。土井は、ここに生じる「引き裂かれ」を生きざるをえない立場にある。

そうした不安定性を解消するために土井は、自身が「家庭料理」を認めるのと同様の構図で自身を認めてくれる上位の存在--すなわち「学」--を求めていたのではないか、というのが僕なりの根拠の薄い仮説だ。それがなぜ土井にとって「権威」となりうるのかは明らかではないが、仮に憶測の度合いをさらに深めることが許されるならばそれは、土井にとって「学」が「伝統」や「(食/日本)文化」とかなり近しいものと映っているからではないだろうか。

彼にとって、あるいは彼の「家庭料理」観にとって、「伝統」や「文化」はほぼ絶対的な存在である。そこからの逸脱が完全に否定されるわけではないが、作為をよしとせず、風土に適した食生活を営もうとするならば、自ずから昔から受け継がれてきた知識や実践に従うことになるし、それこそが「家庭料理」に秘訣となる。これは、柳宗悦阿弥陀仏の他力のことを「伝統」とも言い換えていることにつながる。

つまり、職人の作業には、職人の意識的な努力とは別に長い伝統が関与している。もし職人の意識的な努力を、仏教用語にならって自力とよぶならば、民芸品は、自力による作品というよりも他力がつくる品物という方がふさわしい、と柳宗悦は考える。もちろん、この時の他力とは伝統というのが正しいであろう。柳宗悦は、のちに、力弱いものが安全に世を渡ることができるのは伝統の力によるとくりかえしのべるが(...)阿満利麿『美の菩薩』p.107-8

アプローチの仕方は違うが、「学」にせよ「伝統」や「文化」にせよ、それぞれの「理」にしたがって合理的に積み上げられてきた知恵と営みの集積だとひとしく言えないだろうか。それゆえにこそ、自らの属する価値体系とは異なり、しかし自らにもその重要性が理解しうるような「権威」として、土井にとっての「学」があったのではないか。そんなことを考えている。

だからこそ、新刊の題名が『くらしのための料理学』であったことを意外に思った。「学」である。それは彼にとって近しくありつつも、遠くあらねばならぬ存在だと思っていた。いまや彼自身が「学」を言う。ことのほかその違和感が私には大きく感じられたようで、ついつい長々と考えてしまった。まだまだ考えてみるべき事柄はいろいろあるけれど、いったんこのへんで一区切りにしようと思う。

阿古真理に「料理研究家を語ることは、時代を語ることである」という至言がある。彼女に倣って言うならば、僕は土井善晴を通じて、彼が必要とされるこの時代についてこそ考えてみたいと思っている。

 

 

 

料理と利他

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一汁一菜でよいという提案

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丸元淑生のシステム料理学 (ちくま文庫)

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食べる私 (文春文庫)

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民芸とは何か

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柳宗悦 美の菩薩 (ちくま学芸文庫)

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