屋上屋

屋上で小屋を建てている

日記 20230815

ユートピアとトランジット,ノスタルジーとトランジット.トランジット・パッセンジャーは待機している.未来を忘却し,過去を濃縮しながら.何もしない.だが透明で,晴朗で,軽やかな微動を忘れずに.

細川周平『ノスタルジー大通り』*1

 

友人たちとの夏の合宿を終える。しばしば会った人々、それからしばらくぶりの再会となった人々、あるいは初めて会った人々も、多くの友だちがやってきて机を囲み、言葉を交わす。それはどことなく《ユートピア・ステーション》*2のようでもあり,このどこにもない「駅」に人々が立ち寄って,また去っていくのだった.しばしば束の間のトランジットが深い印象を残すことがあるように,瞬間と永遠が重なり合うあの稀有な一瞬のように--とまで言うと着飾りすぎだけれど--temporalな場所・時間であること,その有限性こそがしばしばユートピア的なものを現出させる,ということなのだろう.

合宿の宿泊地が特別な場所であることは認めないといけないけれども,と一定の留保をしつつ,いついかなる場所においてもそこが「駅」に変転する潜在的な可能性は存在しているのだと思う.ちょっとしたきっかけで,それとたぶんちょっとしたcharmがあれば,そこは「駅」になってくれるだろうし,色々な駅に立ち寄る各駅停車の生は,余白に充ちてよりいっそう生きるに値するものになりそうだ.

自分自身があまりそういうタイプでないことを分かりつつも,チャーミングな人物でありたいなどと考えながら帰宅.合宿中に食した八角とシナモンで煮た桃のコンポートとその副産物であるシロップは記録的おいしさだったのだが,うちで仕込んでいた梅シロップもまた透明な甘さがあり,ほがらかにおいしいのだった.

 

 

 

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