屋上屋

屋上で小屋を建てている

日記 20230715

Github Pages でブログをホストしてみたりするなどしていたので,はてなのほうにはずいぶん長くご無沙汰になっていた.commit して push して CI が回って記事が公開される,というプロセスもおもしろいのだけれど,さっくり書こうと思うときにはやっぱり手間だ.

それにまた,ブログのためのプラットフォーム上にあるかないか,というのは大きな違いだ.はてなにははてなの,書く人たちの共同体があるな,と久しぶりに戻ってきてみて思った.ツイート(あるいはtoot/thread)の速度感よりはもう少しゆるやかな時間が流れていて,好ましい.

 

書くことの,自分にとっての意味を,最近はしばしば考える.自分にとって書くものというのはもはやブログくらいなものだけれど,ここしばらくの間はそれすらも書かなくなってしまっていた.世の中には書くことが生きることと同伴している人もいる.そうした生き様に憧れていたのだけれど,どうやら自分はそうした類の人間ではないようだ,ということもわかってきた.とはいえ,「書くこと」に対する憧憬がついえたわけでもなく,一切書くことをしないでいると,それはそれで座りが悪いものがある.実存そのものだというわけでもないけれど,しかし確かにその一部ではあるようだ.

まあ,であるならば,細かいことを考えずに書くのがよいのだろう.誰に読まれるということを期するのでもなく,ただ覚えておくために––あるいは忘れるために.