屋上屋

屋上で小屋を建てている

2019-01-01から1年間の記事一覧

砂漠の果て、海のほとり――千種創一『砂丘律』についての試論

Die Welt ist fort, ich muß dich tragen. Paul Celan * 序 * 感情を残すということは、それは、とても畏れるべき行為だ、だから、この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、…

あとがき

あとがきというものが好きだ。 例えばかっちりと書かれた学術書であっても、あとがきには著者の私性がほろほろとこぼれだしている。そのほろほろとした感じが好きなのだと思う。 今日は修士論文を提出してきた。出来がよいとは言いがたいものになってしまっ…

凝るのもいいけれど

溜めてしまった家事をする。皿を洗い、洗濯ものを片付け、掃除機をかける。カレーをつくっている。 思うに、カレーは炒めものである。油に香辛料の旨味を抽出し、それを玉ねぎになじませていくあたりで工程の八割がたは尽きていると言っても言い過ぎではない…

11月半ば

昨晩は風が吹いていた。 秋が深まっていくけれど、風はまだ生温かくて、それからやっぱり雨を連れてきた。 ある映画作家のインタビュー/回顧録を読んでいる。私の知らない過去の時間を実際に生きた人々がおり、なおかつこの同じ時点に今なお存在していると…

山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』、中央公論新社、2019

現代美術について書かれたものは日々増えていくけれど、「現代美術史」とその名に冠するものはなかなか書かれない。それは「現代美術史」を記述することの困難さに起因するところ大で、きわめてまっとうな理由があるわけだけれど、とはいえ、なんらかのきっ…

黒島追想

「黒島」と名のつく島は日本にいくつかある。今回書きたいのは、長崎県佐世保市に所属する黒島のことだ。 (ここです) 現在の居住者は五百人ほど。それほど小さくはなく、しかし決して大きくもない。本土からはフェリーに乗って1時間足らずで着く。やはり…

わからぬものの肌に触れる

最近ツイートしたことに関連して思ったこと、忘れたくないので、エントリとしてまとめなおそうと思います。 別になんら新しい思いつきではないから、再確認のためのメモのようなもの。屋上屋。再三語られてきたことについて語り直すこと。 かつて知人が行っ…

生き延びるための仮組み

出口なし それに気づける才能と気づかずにいる才能をくれ 中澤系 きみは、どうして生きているんだい? こう問われたとき、明瞭に答えを返すことのできる者はどれほどいるだろうか。 他でもない自己自身を、ひとまずのあいだは生かし続けること、これは自明の…

不確かなものについて考え続けることの倫理的要請とその苦しみ

ぼくは、いわゆる人文学をやっている人間だ。もっと正確に言えば、その門前に立っている、といったくらい。人文学とひとくちに言ってもその内実は様々であって、色んなことをやっている人々がいる。ぼくのディシプリンは(おそらく)芸術学だ。芸術学をディ…

皮膚

手荒れがひどくなったりする。 昔からずっとそうで、治ったり荒れたりを繰り返している。本当は皮膚科に行くべきなのだが、億劫で、いつも市販薬を塗って、ひとまず皮膚が肉を覆っている状態になればケアすることも忘れてしまう。 利き手の方がひどくなりが…

二十歳のセンチメンタリズム

高野悦子『二十歳の原点』に寄せて、二十歳という端境期におけるセンチメンタリズムのことを考える。二十歳を生き延びてなお人は、亡霊のように回帰する二十歳のセンチメンタルとともに生きていく。

5月5週

風邪がなかなか治らない。熱が帰ってきてバイトを休んだりする。むしろこのくらいの怠さこそが平常運転なのだという気がしてくる。 調子が悪いときは小説を読むのがよく進む。時間があることは大きな理由としてあるけれど、なんらかの栄養分みたいなものを身…

週末とその周辺・リミックス

熱は下がる。 相変わらず空の青みが薄い。夏に近づけば近づくほど、空の青みは薄れていくような気がする。それでは、僕らの記憶に残る、いつかの天高くまで突き抜けて青いあの夏空は、いったい何なのだろう。サマー・コンプレックス。 のそのそと起き出し、…

20190524

微熱が続いている。体温は時折上がり、さっき計ったらもうこれは微熱ではないなと思う。 今朝は空の青みが薄かった。気温が上がる。午後の緑がかった光。太陽が沈んでいく。空を赤く染めることもなく、ただ真っ白な光球が向こうの建物の裏へと回っていく。 …