屋上屋

屋上で小屋を建てている

君たちはどう生きるか

実家の裏手には竹林があり,竹林を越えると溜め池があった.竹のあいだを進んで堤に登ると池を見渡すことができる.その光景に一際目立つのが,池に住み着いていた大きな青鷺だった.大きな翼がゆっくり近づいてくる.小鳥たちが途端に散っていく.そうして枯れすすきの合間に一羽佇む姿には威厳があり,また孤独があった.まわりの農家にとっては害鳥であったろうと思う.しかしぼくにとって,その大きなシルエットは気高さを感じさせるものだった.

君たちはどう生きるか」を観たので感想をゆるやかに書く.書こう.

作品について考えようとすると,波紋に小さく揺らぐ水面に映る自分の姿を見るようで,すこし怖くなる.それはまた汲み尽くせぬ泉のようでもあり,自分のバケツで汲み出せた水がとてもちっぽけなものであるようにも思える.大きな作品だったと思う.それを水源として,僕の大地に川が流れ始める.川は大地を潤し,耕す.その土地にどのような花が咲き,実を落とし,大地をまた耕しているのか,それをつぶさに観察したい.もしくは花はまだ咲いておらず,ようやく芽吹いたところなのかもしれない.ぼくはその芽を育てたい.その芽がどのように根を張り,どのように育つのかを観察したい.あるいはまた,川の流れは何かをきれいさっぱり押し流してしまったかもしれない.それもよい.大地がどのように姿を変えたか,それをぼくは知りたい.

まだ分からないことが多いのだけれど,いまのところ,「君たちはどう生きるか」という表題の問いかけとは裏腹に,生そのもの,というよりも生誕そのものを肯定し,(不可避な呪いを背負いながらも)祝福することが中心的な主題だったのではないか,と感じている.もちろん主人公と父や「母」との葛藤であるとか(「母」は母であることと「折り合いがついた」ようにも思える,それが幸福なことなのかは分からない),世界の命運を決める選択であるとか(これに関していうと,たとえどのような選択をしたとしても,主人公は生き残りsurviveであらざるを得ないのであり,「担わなければならない」ものは変わらないのではないか,と思う),遠景に退いた(しかし意識せざるをえない)戦争のことであるとか,監督のライフヒストリーとの関わりであるとか,過去作やその他の引用によるアレゴリカルな構築であるとか,その他さまざま語りうるものはあると思う.それについてはすこしずつ整理していきたいけれど,急いで語るべきことでもないような気がしている.とはいえ,中心的な主題は何かということについても急いで語るべきだというわけではないけれど.

見切り発車で書き始めてみると,言葉が育っていなくて,印象以上のことが全然言えないことがわかった.それでよい.まだ川は流れている.