屋上屋

屋上で小屋を建てている

日記 2021-10-25

シャワーの湯温を1℃上げる。 感覚は変化に対して鋭敏で、小さな違いであるようでも湯ははっきりと熱くなるのを感じる。 一方ではっきりしない変化というものもあって、その中では感覚はうまく働かず、むしろ鈍麻していくのだろう。

大きな両手鍋を買ったのでスープを仕込む。玉ねぎを切りながら涙を流し、「泣き叫びながら生きていくのだよ」などと思う。 じゃがいもの芽をえぐりとりながら思うことは昔住んでいた部屋のことで、今住んでいる場所から比較的に近いところにあるからたまに様子を見に行くのだけれど、たぶん今でも誰かが住んでいる。 古いアパートだったからお湯の栓をひねれば触れば火傷するような熱湯が出てきたはずだ。シャワーを浴びるときにはいい具合に水と混ぜる必要があったような気がする。配分を探りながら適温を探り当てたときにはそれが適温だと分かること。そこに辿り着くまでにからだが冷え切ってしまうこともあって、そのときの適温はすこし熱めだったはずだ。

季節の終わりはいつの間にかやってきているものだが、季節の始まりはきっぱりと感覚される。 寒くなると心も体もふさぎこんでしまいがちになるのだけれど、火に薪を絶やさぬようにしたいと思う。